亀井流五方よし
どのような分野のお仕事が得意ですか?
元々僕はプログラマー、回路設計もやってたんですけどね。
入社1年目はソフト開発やって、2、3年目からボード開発をやりながら、次はまたソフト開発とか、もう最初の5年ぐらいは本当にハードソフト行ったり来たりしてたんですけど、その後はプログラミングとか回路設計よりはシステム全体の最適化とか構成とか考える方が得意なのかなと自分的には思ってます。
プログラムだけだったりとか、回路設計だけだったりすると、僕より得意な人いっぱいいるんですよ。なので、あの人とあの人がいたらできるんじゃないかなみたいなことを考える方が好きかな。
あの人はこれができるし、この人はこれできるしだったんで。でも何か多分足りないのがあるとすると、お客さんとの調整とかそんなとこかなという感じで、自分の役割を考えてる感じですね。
全体を見て調整するお仕事が得意なんですね!納得です
仕事をする上で最も大切にしていることは何ですか?
最もというか、常にっていう意味ではこれだと思うんですけど、一緒に仕事をしたメンバーとか関係者が、どこかが一方的に何かマイナスになるようなことがないように、参画した人みんながプラスになってほしいなっていうの。
これ社内だけじゃなくて、社外とのお付き合いでもそうなんですけど、そこを大事にしたいと思ってやっているイメージです。
五方よしみたいなやつですね。
今まで携わってきた仕事の中で最も印象に残っているプロジェクトや課題を教えてください
一つ選ぶのは難しいね。
一番最初の10年間の成果がこれです。僕の作った開発のマニュアルなんですよ。
その当時は国内オリジナルのマイコンのアセンブラとかコンパイラとかデバッガとかなかったので、全部自力で作ってたんですよね。みんな僕より若い人ばかりのチームで。20代の人ばっかりで、このアセンブラとかコンパイラとかを作るというのをやってました。こういうメンバーで88年とか89年とかぐらいにこういうのをやってたのが、最初の結構自分としての大きな成果ですね。
最初は外の力を借りて1発目出したんですけど、その次は自力でやったと言うのが大きな成果です。これはマニュアルも全部自力で作ったんですけど、当時のLaTexってやつが出て、レーザービームプリンタも出て、自分でマニュアル作れるぞっていうので、これも全部自力で作った感じですね。
すごく年季が入っていますね
30年ものだから(笑)
開発から出荷の梱包箱を手配するところまで全部やったのでなかなか面白かったです。
次は何かというとサードパーティーというか、パートナーさんも含めたいろんな開発をやってもらうような仕事が増えてきました。社内の開発をやるのは、社内の人達のリーダーがいて、世代交代したので、外回りしてました。
次の10年ぐらいのやつはこういうやつですね。そういうマイコンのサポートツールをパートナーとやるっていう。これ僕出てます。
亀井さんが若い!
いろんなパートナーの人に出てもらって「うちのマイコンでこんなことをサポートしますよ」みたいなことを一生懸命やってました。今回みたいなインタビューをプロにやってもらってね。こんなようなことが次の10年ぐらいですね。
その時と並行してやっていたのが坂村先生のTRONです。このプロジェクトはずっと参画させてもらっていました。TRONフォーラムの10周年の特集にもワーキンググループのメンバーにいたので、名前があります。次の10年はこんな感じですね
もう1つ。これはちょっとしか出ないのですが、プロジェクトXもね、ちょっと出たんです。
坂村先生のTRONプロジェクトが出た時にITRONの話が出て。そのITRONのプロジェクト、さっきのワーキングですね、そのワーキングがやっているメンバーってことで紹介されました。
それが前半の20年ぐらいで。その後はルネサスっていうとこで。三菱電機、日立製作所、NECと統合してからはプロアシスト入ってもそうなんですけど、もういろんなところとごちゃごちゃするみたいな仕事とか、M&Aとかね。
プロアシストではチアリーディング部は結構記憶に残ってます。
あとトラブル対応は結構いっぱいやってて、近くのホテルを三回ぐらいとって、三徹ぐらいして、そのままお客さんと打ち合わせに行くみたいなことをやったりしてました。
その他にもいろいろな火消しをやっていて、どれをっていうのはなかなか選べないですね。
45年もエンジニアやってると、いろんなことありますよね…
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