【元エンジニア】技術の最前線を走ってきたエンジニアの現在地 山下部長インタビュー

【元エンジニア】技術の最善を走ってきたエンジニアの現在地 山下秀夫部長
この人にインタビューしました

山下秀夫(やました ひでお)さん

株式会社プロアシスト ソリューション事業本部
ソリューション営業部 部長

プロアシスト営業の主柱。

私が聞きました

小西麻子(こにし あさこ)

株式会社プロアシスト
ソリューション事業本部 システム開発1部2課

あまりお仕事で山下さんとご一緒することはないのですが、
営業部にはいつも大変お世話になっております。

目次

経歴を教えてください!

山下秀夫です。1962年1月14日生まれです。
嫁さんはたったの1人で、子どもが3人。大阪生まれだけど、小学校に奈良へ引っ越して、結婚して、泉南を経て、大阪の豊能町に住んでます。

小西

泉南から豊能町だとだいぶ北上しましたね。

当時はバブルで、マンションを買おうとしても家を買おうとしても自分の好きなところが買えなくて、抽選やったんですよね。
たまたま当たったのが泉南のマンションだったんですわ。
で、その1年後に親が家を建てかえるというたんで、そうしたら一緒に住める家を新しく買おうやといって買おうとしたら、今度は当たったのが豊能町やったというわけ。
で、今はその豊能町に住んでます。

趣味はバイク、ツーリングで、今バイクと車と両方持っててウロウロするのが好きです。

小西

豊能町だったら、すぐ山ですよね。

ですね。バイクで走ったり、車で走ったりするのはすごくええ環境なんで。通勤は遠いけども、ええとこかなと思ってます。

お仕事のご経歴について教えてください

某大手電機メーカー半導体の子会社で社会人を始めました。
入って2ヶ月間研修受けて、その後部署に配属されて隣にいたのがご存知榊さんです。同じ課の同じグループに配属された(笑)。
当時、同じ会社のツール関連の開発をしているところに亀井さんがいました。

社会人を始めたときは家電製品向け半導体の応用技術開発をしていました。当時はマイコン主体でした。マイコンってまだ珍しいものでした。
今ではいろんな家電、例えば炊飯器とかファンヒーターとか全部に入ってますけど、当時はマイコン使いたいと思ったメーカーさんも、どうやって使っていいか分からへんと。
ソフト作るのも誰が作んねんとかいうのがいっぱいあって。
我々はお客様向けにソフトを作る仕事をしてました。当時は大手の家電メーカーのソフトなんかは結構我々の部隊が作ってた。
榊さんのインタビューで、彼は電子レンジって書いてましたけど、私はとなりの席でファンヒーターの開発やってましたよ。そういう関係です。
ソフトを作ってたら大体お客さんのやりたいこととか分かってくるんで、そしたらこんなマイコン作ったら売れるんやないかなあということで、家電製品用のマイコンの企画とか仕様作成とか、そういうのをやり始めたり。

当時ファジィ理論とかね。今で言うたらAIが普通になってるけど、当時はファジィ理論とかいうのが流行ってね。
じゃあファジィ理論ってどんなのか勉強して、どうやってマイコンに入れたらいいのかとかソフトを作ってみたりして。
ほんで、お客さんにこんなんありまっせー!って持って行って。我々が作ったマイコンを使ってもらうお客さんにはその辺のサポートをしてね。
そんで、ファジィ理論でお米を美味しく炊けますとかね。そういうのを一緒に考えてやってました。

次に通信用半導体の技術開発ってことで。
皆さん今もう普通に使ってるBluetoothがこの世に出る前から開発に携わって、Bluetoothの仕様を決めるところも含めて、Bluetoothの協会と一緒にやりました。
そこから自分たちの半導体やマイコンに仕様をのせて売り出そうということをしていました。

次にZigBeeとかをやったりしてました。それから今はもうなくなってしまったんですけど、PHS。携帯電話の省電力版みたいなのであったんですけど。それをやっぱりサービスの最初の立ち上げのところからやり始めてやったりもしてました。マイコンの企画とか電話とか通信とか、色々なものをやってますという形ですね。で、その後ちょっと縁があってドイツに行ってくれと言われて、ドイツに3年半ほど行ってました。

で、ドイツでは現地ヨーロッパの販売会社のお客さま向けにどうやってマイコンを売っていこうかとか、そういう技術戦略を考えたり。
お客さんからいろんな問い合わせとか来るんで、それを日本側に問い合わせして、日本から回答をもらって、お客さんにそれを伝えるというようなことをしたりしてました。

そのあと、早期退職して、2社目に行ったんですけども、派遣が主な会社だったんで、派遣先の車載のオーディオメーカーさんに行って、ちょっと水が合わなかったので2年半で辞めて、その後プロアシストに来ました。

小西

ドイツはどうでしたか?

一言でいうと「ええとこ」です。

おいしいものでいうと、やっぱり一番おいしいものがあるのは日本やと思います。
でも、ちょっとその日本食じゃない変わったものを食べようとすると、ドイツは海外の中では結構おいしい方かなと思うので、よかったですね。

私、車とかバイク好きという話をしましたけど、アウトバーンが速度無制限のところがあるので、朝の通勤で250km/hとか出したりしてましたね。

ドイツではサウナが男女混浴なんですよ。
素っ裸なんですよね。日本人はあんまり入ってる人はいないけど。私はサウナが好きでよく行ってました。日本人からしたらちょっとびっくりしますよね。
面白いのは、会社の同僚と一緒にグループで行ってたり、大学の友だちとかと行ってたり、あと家族で行ってたり。

小西

家族で行くのはわからなくもないですけど、ちょっと会社の同僚と素っ裸は嫌ですね。

日本人からすると、会社の同僚と一緒に行って素っ裸で普通にしゃべってるというのが想像できないじゃないですか。でも、ドイツではそれが普通なんですよ。

そういう意味で言うと、サウナは一例ですけど、文化も違うしね、考え方も違うし。いろんな面で違うことたくさんあるけど、ホンマにいい勉強になったかなというのをすごく思いましたね。

小西

ドイツ語はしゃべれるんですか?

ドイツ語はね、お勘定と領収書だけ。それはしゃべれます。
っていうのは、やっぱりお客さん来た時に接待するとね、精算せなあかんくて、領収書をもわらなあかんので(笑)。

でも「グーテンターク」(こんにちは)はね、あまりにも発音がよすぎてね。プロアシスト入った後にわざわざ日本語が通じるドイツの東横インをとったんやけど、フロントでグーテンターク!って普通にしゃべったら向こうはその言葉で私が普通にドイツ語ペラペラやと思ってドイツ語でぶわーっとしゃべってきて、わかれへんしあたふたしてっていう笑い話があります。

小西

海外行くと日本語が通じるところはありがたいですよね。

東横インはサービスも何も全部日本式だったんでね。

小西

私もスペインに行ったときに三越があって。毎日通ってました。

私がおったデュッセルドルフにも三越があって、だいたい日本人はそこに集まるというか。
本当の名前はインマーマンストラッセ(インマーマン通り)というんだけど、日本人通りって別名がついてるくらい。土日になると日本人がうろうろしてる(笑)

ケーキ買うのもね、日本のケーキとドイツのケーキは全然違うじゃないですか。我々からしたらドイツのケーキってもうひとつなんですよね。三越に行ったら日本のケーキが売ってある。
だから、家族の誕生日は三越のケーキを買ってお祝いするんです。
今はもう三越なくなったみたいですけどね。

小西

スペインの三越もなくなったみたいで。次行くときはどうしたらいいのかって思います。

ほんまそうですわ。

営業部についてお伺いします!

営業部、2025年から変わりましたね。

営業課と営業企画課に2人、新任で課長になってもらったんですよ。
元々は私が部長と2つの課の課長だったんで、3人分働いてて給料が一人分ですよね。これは割に合わんなと思って。
誰かに課長をやってもらわんと身が持たんなと思って、営業課の課長になってくれへん?って無理にお願いしてなってもらったのが実情ですね。

どちらの課長も一生懸命課長業をやってくれているので、だいぶ楽。
ほっとしてますね。

小西

ソリューション事業本部では各課によって毛色が違うし、お客様も違うので、営業の仕方とかいろいろ変わってくるのかなと思うんですけど、
そういうところで何かプロアシストならではの難しいところとか、楽しいところとかってありますか?

私がここに入った時は、実を言うと、基幹系のソフトとかPCの制御ソフトとかそういうのをしてるって知らなかったんです。
亀井さんに「うち来ない?」って言われて。レストランでちょっとしゃべって、「ほな行きますわ」というので面接受けさせてもらったんですけどね。その時は亀井さんのお誘いなんで、マイコンのソフトやとばっかり思ってたんですよ。
入ってみたら、パソコンのソフトもあるし、基幹系のソフトもあるし、ちょっとびっくりやなと。営業に入って、基幹とかパソコンのソフトの知識が全くないんで、最初これどうやって営業したらええんかなって、すごい悩んだんですね。でも、ちょっとやってたらこんなことしたらええねんなというのが分かってきて。
基幹系は不得意で、あんまりできていないんだけど、PC系のソフト、組み込みのソフトの営業をしています。

一般的に営業って、物を売ったりする営業のことを想像することが多いじゃないですか。うちは物売りじゃなくて、システム開発の営業なので、システム開発の中身を知ってないとあかんというのが、他とちょっと違うところかなと思うんですね。
営業はプロアシストに入ってから初めてやる仕事で、ずっとエンジニアだったので、エンジニアの知識をもとに営業活動をさせてもらってます。

営業の今のメンバーを見ると、そういう元々のエンジニアだった時の知識を活かして営業しているという人と、元々の営業の仕事をしてて、そのノウハウで営業をしてる人、もう一つはまっさらで入って来て、一生懸命勉強しながら営業している人っていう3種類ぐらいに分けられると思うんですね。

私のせなあかんことはその3つの分類した人たちがうまく営業できるように、何かやり方を考えてあげて、それぞれうまい配置にしてあげることですね。
今、メンバーが分かれて営業していますが、それが私の思ったところの結果かなと思っています。

小西

私は営業課の楠瀬さんとよく出かけるんですけど、やりやすいなと思ってます。

楠瀬さんはね、もう全くほんまにまっさらというか、前職は全然違う仕事から入ってきてくれてるんで、彼女を育てられれば、次の人も育てられる勇気がでるような、受け入れられるようになるかなと思って頑張ってて。楠瀬さんも一生懸命頑張ってくれてるね。 

趣味について教えてください!

最近はまっていることとかありますか?

元々バイクが好きで乗ってたんですね。で、車はね、やっぱ家族を乗せることを優先させないといけないので、自分の好きなのを買えてなかったんですよ。

今年4月から、子どもが全員社会人になったんで、もう好きな車買わせてくれよって言って。ちょっと自分の思う車を去年の8月に買わせてもらったん。何十年ぶりかのマニュアルでね。面白くて面白くて。

山下さんの愛車と富士山
山下さんの愛車と富士山

最近車ばっかり乗ってるんで、嫁さんからは「バイク、すねるで」って怒られるぐらい車乗ってる(笑)。

小西

あのへん車やバイクで走ったら気持ちいいですよね。

気持ちいい。今、特に気候がいい(注:インタビューは4月下旬)んで、気持ちいいですね。
うちからやったら、舞鶴まで2時間もかからへんので、ちょっと海鮮食いにいこうやとかね。楽しい。

小西

バイクは一人ですけど、車は二人で乗れますしね。

バイクの時は嫁さん絶対乗ってくれへんのでね、一人で行くんですけど、車やったら嫁さん誘ったら横に乗るのでね。嫁さんと行ったり。最近それも飽きてきたんかあんまり乗ってくれへんようなって、一人でうろうろしているのが多いですね。

小西

私、ほんたき寺巣行ってみたいんですよ。お近くですよね。

ほんたき寺巣、うちの町内。 
あそこはバイク寺で、ご住職二人ともハーレー乗ったはるからね。
カレーもおいしいらしくって。

と言いながら、私まだ行ったことないんですよ。近すぎて行ってない。

小西

景色もいいですよね。

なんかええ雰囲気でね、いっぺんいかなあかんなって思うけど。
是非来て豊能町にお金落としてください。
豊能町はお金が全然ないところで、観光資源もなんにもない。なんか人が来てくれんとね。
さびしくてさびしくて、なんでもいいから来てほしいなってね。

小西

私も豊能町は友だちが何人も住んでるので元気になってほしい町です。
でも、豊能町に住んでる友だちと会うってなると、我が家からだと直線距離はそんなに遠くないんですけど、山を越えるので結局梅田とかになっちゃうんですよね。(小西は豊中在住)

公共交通機関やったら、山を越えるのにバスで600円くらいしますからね。

能勢の旅館で宴会しようってなったときに、東京のバイク仲間がひとり来たいって言ったから、車のせてったるからうちの近所まで来てっていったんやけど、箕面トンネル通ってるとき「俺は今からどこに行くんだろう」って言ってましたわ。あそこのトンネルは延々と続くからびっくりしたらしくって。「どんなとこや。ここは」って言われてしもて。

小西

あのあたりは熊も出ますしね。

熊は豊能町でも捕まってね。
今はうちの裏山で飼うたはるらしいわ。

熊が大阪府にいるということを想定してないらしくて。
大阪府の条例も豊能町の条例にも熊が捕まったときの対処方法が何もなくて。
熊さんかわいそうにね、ちっちゃい檻の中に半年くらい閉じ込められてたんですよ。
うちの裏山のお寺さんがあまりにもかわいそうやからうちで飼うたげるわって言って飼いだしたらしいです。

若手にメッセージをお願いします!

やっぱり仕事を楽しんでやってほしいなというのがすごくあるんですよね。
で、私は結構今、楽しんでやってるんですね。

お客さんが「こんなんしたいんやけど」ということを実現してあげる方法を考えたりね、開発の人にポンと振るのも手やねんけど、もともと技術屋やったんがあって、自分でこんなんしたらどやろ、あんなんしたらどやろと思って、それをお客さんに話をして、それから開発側にちょっとこんなん開発できへん?って言ったり。そういうのを考えたりするのが楽しい。

楽しみのために仕事をしてるようなこともあるね。やっぱりそういう楽しいっていう気持ちがあれば、仕事もどんどん捗るんちがうかなと思うんでね。楽しんでほしいなと思いますわ。

技術でやってる時も、同じようにお客さんからこんなんできないかなって言われて、自分で開発したやつをできましたよー!って持っていってね。
これできるんやったら、じゃあ製品搭載できるなとかね。結構日本で初めてどうのこうのとかいうというのがいっぱいあったんですけど、当時は専用のICだったバッテリーチャージャーをマイコンでできませんか?と言われて「やりましょう」ってやったり、モーター制御を1つのマイコンでできませんかと言われて、やってみたりね。
あとPHSも日本で初めてですわね。BluetoothとかZigbeeとかサービスインの前から、マーケティング活動や企画開発からファームウェアまでやったというのは、全部で楽しんで楽しんでやらせてもらったんで、面白かったですね。

まあ、ただ苦労話で言うと、お客さんからえらい怒られたり。 大変なやつもありましたけどね。

ちょっと最悪の仕事がPHSなんです。研究所が作ったファームやソフトウェアを、そのまま端末メーカーに流して、ソフト代もらって大儲けや!って私の上司が言ってきたんですよ。 それはいいですねーって乗っかってね。

じゃあ、うちで各メーカーさんの端末用に、ソフトをチューンアップして入れましょうって言ってやり始めたんですよね。 サービスイン前でいろいろこう評価していたら、不具合がいっぱい出だしてね。 で、もうあまりにも不具合が出て、我々も手に負えへんなと思うぐらい不具合が出たんですよね。 で、3社いっぺんに受注しちゃってて、場所も神奈川と福岡と群馬だったんで、いっぺんに対応できへんのちゃうかなと思いつつ…。6人のチームで何とかやりこなして。

今から考えたらおかしいくらい働いたね。 働いた翌月、給料入ったときに嫁さんからはなんでボーナスが今頃でてるのって言われたくらい。

やっぱりこういう地獄のような経験は若手にはしてほしくはないけど、やっぱりトラブルもありますからね。

まあ、その辺もええ勉強だと思いながらね、一生懸命やってもらったらいい。 でも、もう手に負えなかったら上司にちゃんと報告して、一緒に行動してもらうとかすればいいかなと思いますわ。

300時間残業したよというのが、自慢話にはならへんとは思うんやけども、そういう経験をしているのは自分としては誇れるというか、ちょっと言ってもいいのかなという気はしますね。 まあ、そんなんで皆さんには頑張ってほしいなぁというのがあります。

山下さん、貴重なお話をありがとうございました!
エンジニアとして様々なご経験をされて、いまはプロアシスト営業部隊の要石。
ご苦労されたからこその今ですね。とても敵わないです。
今後一緒にお仕事できたらうれしいなと思います。

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この記事を書いた人

小西麻子のアバター 小西麻子 ソリューション事業本部 システム開発4部1課

株式会社プロアシスト ソリューション事業本部 システム開発4部1課
We部編集チーム
Webサイトを作る人。
3人娘の母で、ビジネスケアラー、そしてがんサバイバー。

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